2024年三田会(165三田会)の大元である三田会とは何か、そしてその歴史について本ページでは紹介しています。
三田会とは(塾員センターより)
「三田会」は塾員有志が自発的に集い、運営している同窓会組織です。その三田会を包括している組織が「慶應連合三田会(一般財団法人 慶應連合三田会(2013年〜))」で、現在880を超える三田会が登録されています。各三田会が様々な活動を展開し、塾員同士の交流・親睦を深めています。また、塾生に対して奨学金を設置している三田会や、一貫校の教育事業に物心両面のご支援、維持会活動支援など、義塾に対し様々なかたちで協力しています。そしてその三田会は、大きく4つに分類することができます。
- 年度三田会
同じ卒業年の塾員で構成される三田会で、いわゆる「同期会」に相当します。毎年卒業式後に各年度三田会結成式が行われ、卒業と同時に入会することになります。 - 地域三田会
同じ地域に居住、あるいは職場を持っている塾員で結成されている三田会で、それぞれが地域の特色を生かした活動を展開しています。国内のみならず、海外でも数多く結成されており、家族ぐるみで親睦を深めている団体も多くあります。 - 勤務先・職種別三田会
同じ職種・業界や企業に所属する塾員で結成されている三田会です。同業他社間での情報交換や、世代を超えて親睦を深めています。 - 諸会
その他に、サークル、ゼミので構成される多種多様な三田会が結成されています。
三田会の歴史(慶應義塾百年史より)
明治12年1月25日、新年の始業式にあたり、福澤先生は学生一同を演説館に集め、義塾創立以来の歴史から、義塾の特色たる社中協力の精神について述べ、あわせて教員、塾員ともに会して盛んな宴席を催した。あたかも義塾は、西南戦争の余波を受け、会計上非常な窮境に陥って、一歩を誤ると破産のやむなきに至らぬとも限らない困難に直面していたおりからでもあり、社中協力の緊要なることが一段と痛感されたときでもあったのであろう。翌13年に義塾は創立以来の塾員を会し、相互に談話の快を尽くそうとの趣旨で「同窓会」と名づける会合を湯島昌平館で開始し、約300名の参加者があったことが書き残されている。これが義塾における同窓会の初会合であった。その後も不定期ながら開催されていたが、明治34年の福澤先生ご逝去を受けて社中一同は、広尾の福澤別邸に相会して同窓会を開催し、同窓会を将来長く続けるため、同窓会規約を定め同窓会の強化を図ることとした。かくて、翌35年には三田会が交詢社に発会した。それを受けて漸次国内外各地に三田会が誕生し、同窓会が催されるようになった。
昭和5年には、1百を超える三田会が結成されていた。そこで、各三田会と義塾との連絡を密にし、かつ相互の意思疎通をはかるべく、有志が集まって三田会の実行方法について協議した結果、連合三田会を結成することとなり、会則を定め第1回連合三田会は329名を迎え東京會舘ホールにおいて開催。
以来、隆盛を誇ってきた連合三田会に登録されている三田会は、大学卒業年度別、地域別、勤務先・職域別、諸会合わせて2015年現在862団体となっている。それぞれが活動すると共に年1回の連合三田会大会には、2万人を超える社中の方々が集い日吉キャンパスに於いて開催されている。